1970 (昭和45)年10チームによって「石川県少年サッカーリーグ」がスタートして第7回を数えたが、昭和52年日本スポーツ少年団、読売新聞社主催、コカコーラ、デサント、山崎パン3社の協賛で第1回全日本サッカー大会が創設された。サッカー少年にとって全国大会につながる夢のある唯一の大会であり、県内少年サッカー大会では参加チーム、参加選手が一番多く最も盛り上がる大会である。
 他県では登録チームが200〜400と多いため、各団代表選手(6年生中心)のチームだけで行っているが、本県は登録チームが少ないため、第2回大会よりI部・U部・V部制で登録選手すべて参加出来るようにした。これにより2,500名を超えるサッカー少年がゴールを目指し、チームの勝利に向かって連日50試合に上る熱戦が繰り広げられるようになった。
   1985 (昭和60)年第6回大会より北陸放送もTV中継を行い、決勝戦の試合のほか抽選会、サッカー少年のひたむきな姿を取り上げ、サッカーのおもしろさを広めている。
 県代表を競うほか、参加チームの中から、努力賞(チームとして努力精進の姿が本大会において見られ、結果がゲームによく表れているチーム)、敢闘賞(上位進出を果たし、ゲームに内容があり、よくやったろ感動を持てるチーム)、フェアプレー賞(試合中のプレーがフェアで他の模範となるチーム)の三賞を与え、チームを称えている。
 また準々決勝進出した8チームには、夏休みに行われる中部日本招待大会への県代表として出場権が与えられる。実力のあるなしににかかわらず、3〜4ゲームと、試合を多くできるように配慮し、予選リーグを取り人れて行っている。
 
   
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